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一首評(第十四回)

帯剣の手入をなしつ血の曇落ちねど告ぐべきことにもあらず
宮柊二『山西省』

 昭和十六年の作品である。日米開戦はこの年の十二月の真珠湾攻撃を待たねばならないが、日本の中国における軍事行動は既に始まっており、作者の宮柊二は年譜によると昭和十四年から十八年まで中国各地の戦闘に参加している。

 敵兵の奇襲におびえながら、あるいは自軍の攻撃に備えて短刀を拭い終えた場面であろう。宮には「ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくづをれて伏す」(『山西省』)というよく知られた作品もあり、以前の戦闘で自ら手を下した証拠として、「血の曇」が眼に映ったのだろう。そこには罪の意識も、戦場の行動を正当化したいという気持ちも、暗鬱な高揚感もあっただろうが、我々は何も知りえない。整った短歌詩型のなかでは何も語られてはいない。「告ぐ」が、その場の戦友らに向けて呟くことを指すのか、その時その場に限らず誰かに伝えることを指すのかは定めがたいが、作者は刃に残る血痕を拭い去ることができないという事実さえも、本当は自分ひとりの心の内におさめておくべきことなのだ、という素振りさえ見せている。そこで「つ」が動作の完了を示す助動詞であることに注目したい。作者はもう刀を鞘におさめている。血痕はついに落ちなかった。そこにはささやかだがあきらかな諦念がある。一首はその苦渋に満ちた横顔、閉じられた口元を見せることに成功していると言えるだろう。

 ところで、竹山広は長崎に投下された原爆を目のあたりにして、「人に語ることならねども混葬の火中にひらきゆきしてのひら」(『とこしへの川』)と詠んだ。加藤楸邨の「鰯雲人に告ぐべきことならず」(『寒雷』)はその数年前の作である。なにごとかを伝達しようとする表現のなかでその伝達を否定してみせるのは、考えてみれば奇妙なことだ。偶然と言ってしまえばそれまでだが、なぜ彼らはためらいを敢えて言挙げしなければならなかったのだろう。

 楸邨が何を「人に告ぐべきことならず」としたのかは示されていないが、同句を含む一連の前後には戦争の影が見え隠れする。燃えてゆく死体の手がひらかれてゆく光景も、刃の消えない血痕も、単にそれだけでは戦争の悲惨さを現前させる効果しかもたらさない。眼に映った事実のみを詠み、その現実が読者に与える衝撃の深さで歌の価値が決まるなら、短歌という詩型が持ってきた私性とは、あるいは表現とは何だろうか、ということになりうる。短歌は他の文芸の形式に比して私性、私小説性が強いとされてきた。そのような形式にあって、作品のモチーフの魅力の多寡、優劣で作品の評価が定まるならば、世界をまなざす歌人の眼、定型の枠内でよりよい表現を追求する歌人の計算や手腕にいかに価値を置けばいいのであろうか。作品のモチーフが短歌作品の重要な要素のひとつであることは論を俟たないが、不即不離の関係にある内容と形式が一体となって総体として評価されるべきであるというのが私の認識である。もちろん作者不在の歌にもよい歌はあるし、目を背けたくなるような現実も歌に乗せた時点で表現としての訴求力を得ていくぶんか救われる、という事態もある。しかし彼らは敢えて躊躇する自分の姿を見せることで、体験した者にしかわからない心情、他人には理解しえない苦悩の実在を示唆した、とは言えまいか。そこに短歌定型と現実を結ぶ歌人の貌がある。

 戦争体験は生涯にわたり宮柊二の作歌生活に影を落とし続けた。しかし、晩年の一首には一抹の清しさが宿る。この沈黙に秘められた思いも、なお知りがたいままである。

あつき夏の空となりたり仰ぎつつ若く兵なりし山西省おもふ
       同『白秋陶像』

二〇一四年一月七日 寺井龍哉

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御礼

深く共鳴いたしました。
2015年7月のいま、twitterにおいて引用させていただきました。そこから、デイリー俳句新聞に紹介されておりますこともご報告させていただきます。
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東京大学の学生を中心とした学生短歌会です。

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