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一首評(第11回)

山峡に瀧みれば瀧になりたけれなりはてぬればわれは無からむ  柏原千惠子『彼方』


山中で瀧を間近に見るとき、眼の焦点を合わせるのにどうしても時間がかかる。眼に留まったひとしぶきは一瞬で流れ去ってしまって、視線を上げるとまた次の飛沫が来る、それを見送るとまた次の……。
そのうちに、眼は水を追うのを諦める。眼で水を見るのではなくて、絶えず入れ替わり常に流失しつつあるその運動のみを、呆然と感受する他なくなってしまう。

「なりはてぬればわれは無からむ」

作中主体も瀧を眺めている、瀧になりたいのだという。「瀧」「なり」のリフレインや、繰り返されるナ行・ラ行音は大小の飛沫となり、二句の字余りが水流を加速させる。
眼が文字を、瀧の水を懸命に追っている間に変身は進み、結句において、歌の全貌と主体の消滅は同時に判明する。この歌に意識を注いでいるわずかな時間においてのみ、主体は読者の脳裏に立ち現れるのだ。読み返せば読み返すだけ何度でも失われる「われ」。

現実には「主体」というとき、「われ」というとき、それはなくなってしまってはこまる。山峡に入っていったひとが、そのひとのまま無事に戻ってくるようでなくては。戻ってくるだろうとたかをくくり、失われない「われ」を組み上げて、私たちは明日の予定を立てる。

日常とは絶え間ない変化や喪失の可能性に眼を瞑ることだ。瀧を見ないことだ。しばらく見ないうちにどれほどのひとを、場を、時を失っていただろう。

「われは無からむ」

読後はうっすらと胸が痛む。そしてその痛みを確かめに、またこの歌に戻ってきている。

二〇一三年四月二九日 小原奈実

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