スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

一首評(第十五回)

孤独こそ権力――銀の星雲を見つめゐし眼を地上へもどす 
(春日井建『夢の法則』)

 初期の春日井作品には音韻的に優れている歌は少ない、というのが筆者の印象なのだが、この歌は音韻的な工夫がかなり見えやすい形でなされている。「孤独」「こそ」「権力」などカ行音が集中的に配された張りのある韻律からスタートし、ダッシュを入れることによって一首の中に一瞬の、しかし一字空けよりは長くはっきりとした沈黙を挿入している。また、ダッシュの後にはカ行音はもはや現れず、「銀」「見つめゐし」「地上」といったイ段音と、「見つめゐし」「眼」「もどす」といったマ行音の反復によって特徴づけられる、呟くような韻律へと変化していく。それはまるで、「孤独こそ権力」と高々と宣言した主体が、徐々に視線を落としながら自信を失っていくさまを現しているようだ。こうした心の動きは、主体のまなざしが孤独を保つのに適した宇宙空間から孤独で居続けることの難しい地上へと移っていくこととも連動している。また、単なる字空けではなくダッシュを用いているところからも、後半は「孤独こそ権力」という言挙げに対する一種の留保またはためらいのようなニュアンスが感じられる。

 ところで、「孤独」が「権力」であるとはどういう意味だろうか。ある人間が自分の望む行動を取るように他者を強制または誘導することができるときその人間は権力を持っていると言うのだから、「孤独」でありながら「権力」をもっているという言い方は実はやや奇妙だ。しかし逆に言えば、真に孤独な主体は他者がふるう権力の客体に陥ることがない。孤独を保ち、自分が「見つめ」る他者から見つめ返されない限り、主体はつねに主体でいることができる。「孤独」が「権力」であるという意味は、ひとまずそのように理解したい。

 ともあれここで注意しなければならないのは、この歌は「孤独とは権力」と叫んでいるわけではないことである。「孤独とは権力」と「孤独こそ権力」の間には大きな違いがある。「孤独こそ」と殊更に言うとき、その背景では「孤独」と他のなにかの比較が行われている。もちろん他のなによりも「孤独」が「権力」に近いと思うからこそ「孤独こそ権力」という言挙げをするわけだが、一方でこの表現からは比較に敗れ去ったなにものかの影が消し難くにじんでくる。筆者には、このいわば残党のような影が「孤独」と「権力」を結びつける前半の言挙げを、あらかじめ疑われうるものとして存在させているように思える。より簡潔に言えば、「孤独こそ権力」という表現は、「孤独」イコール「権力」という結びつけが逆説的なものに過ぎないことを表明してしまっているように見える。また同様に、「地上にもどす」という表現は、主体がもともと「星雲」ではなく「地上」側の人間であったことを強調する働きがあり、ここからも「孤独」が「権力」でありうるのは「星雲を見つめ」ている間だけであるような、そんな気がしてくる。

 だがここまで書いてきて、主体の「孤独こそ権力」という信念が揺らいでいくという読みだけで果たして十分なのか、少し自信がなくなってきた。その最も大きな理由はこの歌に続く〈銃丸壁のごとき窓より見をろせば路上の男狙ひ撃つべし〉という歌が、権力への希求を失った者の歌には到底見えないからである。連作的に読むならば、「孤独」と「権力」の結びつきに対する疑問がないとは言えないにせよ、むしろ「地上」(もちろん、「路上」は「地上」である)においてもなお「権力」の持ち主たろうとする主体の宣言として一首を捉えるべきかもしれない。ところで考えすぎかもしれないが、こうした二つの読みのうちどちらに近い内容を感受するかには、連作性のほかに、ダッシュがもたらす沈黙をどう意味づけるかということが関わってくるように思われる。筆者の目にははじめ、「孤独こそ権力」と叫んだもののあとが続けられず言葉につまっているさまに見えた「――」が、しかし読者によっては「孤独こそ権力」という宣言を自分の中でよく反芻し、決然と地上に向かうための沈黙に見えるかもしれない。この沈黙を意味づけるとき、読者は自然と自分の見たいものを代入させられていると言ったら言い過ぎだろうか。

 この歌がもしも「孤独とは権力 銀の星雲を見つめゐし眼を地上へおとす」のような作りだったら、筆者が歌意を捉えるのにこれほど迷うことはなかっただろう。この場合はおそらく、孤独という権力を地上に及ぼそうとする主体の決然とした態度のほうを筆者も感じ取ることになっただろう。だが、意図的にせよそうでないにせよ、孤独を手放しに賛美しているとは言い切れない作りであるからこそ、孤独に対する定まりきらないアンビギュアスな感情を湛えているように思えて、連作中のほかの歌よりも強く、この歌に筆者は惹かれるのである。
 
2014年6月30日 七戸雅人

※掲出歌および引用した歌の表記は、いずれも『春日井建全歌集』(砂子屋書房、2010)によった。
スポンサーサイト

6月歌会のお知らせ

6月の歌会は、以下のように開催します。

【日時】6月25日(水)18時半~
【場所】東京大学駒場キャンパス(東京都目黒区)
【詠草】題詠一首「架空の生物を詠み込む」


駒場キャンパスの正門は、渋谷から井の頭線で2駅の駒場東大前駅(急行は止まりませんのでご注意下さい)の、渋谷寄り改札を左に降りた目の前にあります。


参加される方はhongotanka○gmail.com(○を@に変えてください)までご連絡ください。歌会の詳細についてお知らせいたします。
プロフィール

本短管理人

Author:本短管理人
東京大学の学生を中心とした学生短歌会です。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
05 | 2014/06 | 07
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
小説・文学
2492位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]

190位
アクセスランキングを見る>>
FC2カウンター
現在の閲覧者数:
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。