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一首評(第11回)

山峡に瀧みれば瀧になりたけれなりはてぬればわれは無からむ  柏原千惠子『彼方』


山中で瀧を間近に見るとき、眼の焦点を合わせるのにどうしても時間がかかる。眼に留まったひとしぶきは一瞬で流れ去ってしまって、視線を上げるとまた次の飛沫が来る、それを見送るとまた次の……。
そのうちに、眼は水を追うのを諦める。眼で水を見るのではなくて、絶えず入れ替わり常に流失しつつあるその運動のみを、呆然と感受する他なくなってしまう。

「なりはてぬればわれは無からむ」

作中主体も瀧を眺めている、瀧になりたいのだという。「瀧」「なり」のリフレインや、繰り返されるナ行・ラ行音は大小の飛沫となり、二句の字余りが水流を加速させる。
眼が文字を、瀧の水を懸命に追っている間に変身は進み、結句において、歌の全貌と主体の消滅は同時に判明する。この歌に意識を注いでいるわずかな時間においてのみ、主体は読者の脳裏に立ち現れるのだ。読み返せば読み返すだけ何度でも失われる「われ」。

現実には「主体」というとき、「われ」というとき、それはなくなってしまってはこまる。山峡に入っていったひとが、そのひとのまま無事に戻ってくるようでなくては。戻ってくるだろうとたかをくくり、失われない「われ」を組み上げて、私たちは明日の予定を立てる。

日常とは絶え間ない変化や喪失の可能性に眼を瞑ることだ。瀧を見ないことだ。しばらく見ないうちにどれほどのひとを、場を、時を失っていただろう。

「われは無からむ」

読後はうっすらと胸が痛む。そしてその痛みを確かめに、またこの歌に戻ってきている。

二〇一三年四月二九日 小原奈実
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一首評(第10回)

ぼくたちは尾びれをリボンでつながれたランブルフィッシュひどくさみしい
(山田航『さよならバグ・チルドレン』)

 ランブルフィッシュは、ベタ属の淡水魚の別名。広義にはベタ属に含まれる50種ほどの魚をベタ、ベタ類と総称するが、狭義には古くから観賞用として親しまれているベタ・スプレンデンスという一種のみを指すそうだ。長いヒレが特徴的で、体色は鮮やかで美しい赤や青色をしている。縄張り意識が強い魚で、狭い水槽の中で混泳させると、片方が雌であれば雄に襲われてしまうし、雄同士であれば喧嘩を始めてしまう。そのため、二匹の雄同士を戦わせる遊戯のために飼われることもあり、日本では「闘魚(トウギョ)」とも呼ばれる。「ぼくたち」(おそらく二人)の分身であるランブルフィッシュはリボンでつながれているから、喧嘩っ早い習性を持つにも関わらず、水槽の中でずっと一緒にいなくてはならない。

 「ぼくたち」の関係を連作中の他の歌から確定させることは難しいので、二人は友達であると読んでも、家族であると読んでもいい。しかし、二人をつなぐものとして紐、縄、糸などが考えられるほか、わざわざ道具を明示しないという選択肢もありながら、作者は二句を四・四の字余りにしてまでリボンを選んだのだ。この可愛らしいアイテム選びは「ぼくたち」が恋人同士であることをほのめかしているように思える。

 そのリボンが結ばれた場所が大切である。一般的な魚であれば背びれや胸びれは小さすぎてリボンが結びづらいので、結ぶ場所は、尾びれが消去法で選ばれるだろう。しかし、ランブルフィッシュはドレスのような優雅で大きなヒレを持つのだから、作者にはわざわざ尾びれを選んだ理由があるはずだ。例えば背びれや胸びれだったなら、二人は向かい合うことができる。ずっと一緒にいるのだから、いくらでも威嚇して、攻撃して、喧嘩をすることができるのだ。語り合えば、仲直りだってできるかもしれない。そうしたらまた喧嘩を始めて、仲直りして、すれ違うたびに二人は少しずつ関係が深まっていく。そのときリボンは二人の親密さの象徴である。

 だが実際には、リボンは二匹の尾びれと尾びれをつないでいる。二人はお互いに他の誰より近くにいながら、常に背中合わせで、逆の方向を向いたままでいることしかできない。二匹のランブルフィッシュは、争うことすら許されていないのだ。他の誰よりも近くで、他の誰よりも長い時間を過ごしている二人なのに、見つめ合うことも、同じ方向を見ることも叶わない。確かに二人、ここにいるはずなのに一人ぼっちでいるような時間が、ただただ過ぎていくばかりである。二人だからこそ、かえって孤独感は増すのだ。三句目は「くくられた」ではないから、二枚のひれをリボンが束ねている画は想像しづらいが、尾びれをつないだこの意味を考え、尾びれと尾びれの間を渡されているリボンは、二匹が向かい合うことができないぐらい短めのものを思い浮かべたい。

「ぼくたち」「つながれた」「ひどくさみしい」のひらがな書きは、二人がランブルフィッシュに変身してしまうという幻の淡さや、歌全体を包むやわらかさとともに、幼さを思わせる。この「ひどくさみしい」は、ぎりぎりまで保たれていた、大人としての理性が結句を前にぷつんと切れ、思わずこぼれるように小さくつぶやかれた言葉であるに違いない(倒置された「さみしい」が「ランブルフィッシュ」を修飾していると読めなくもないが、それならば、下の句は「ひどくさみしいランブルフィッシュ」とすればよいのであるから、結句は連作の作中主体「ぼく」の言葉だろう)。短歌のセオリーとして、感情の直接表現は避けるべきである、というものがあるように思うが、この歌ではそのセオリーが破られている。募っていく寂寥感がセオリーを決壊させ、「ぼく」は純粋な感情を何物にも仮託することなく「ひどくさみしい」とこぼす。二匹のランブルフィッシュはきっと、その小さな小さな声だって、聞こえる距離にいる。しかし、もう、どうすることもできないのである。

二〇一三年四月二二日 服部恵典

『本郷短歌』第二号のご注文につきまして

※『本郷短歌』第二号は只今在庫切れとなっております。現在のところ、再版の予定はありません。


機関誌『本郷短歌』第二号の通信販売を開始いたしました。第二号の内容は

・会員作品
・特集「交錯する文語と口語」
・合宿・勉強会レポート
・創刊号作品合評

など、A5版で112ページとなっております。

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なお在庫切れにつき創刊号の販売は終了させていただきます。
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4月歌会のお知らせ

4月の歌会は以下のように開催します。

 日時 4月25日(木)18時半~ 場所 東京大学駒場キャンパス(東京都目黒区)
 詠草 題詠一首「通」

駒場キャンパスの正門は、渋谷から井の頭線で2駅の駒場東大前駅(急行は止まりませんのでご注意下さい)の、渋谷寄り改札を左に降りた目の前にあります。



参加される方はhongotanka○gmail.com(○を@に変えてください)までご連絡ください。歌会の詳細についてお知らせいたします。
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